私に価値があるかどうか分からないけど無いこともないかな

30歳代地味女による、自称ネガティブブログ。趣味は妄想。

我が子を横抱っこでゆらゆらする。夢で怖いと思ったら、飛んで逃げられるように。

以前、夢についてこんな記事を書いた。

この記事で私は次のように考えた。

夢で私は低飛行出来る。ジブリ魔女の宅急便』でキキがコリコの街を初めて来たとき優雅に箒で街中を飛ぶけど、バスとぶつかりそうになる。あれくらいの高さ。屋内だと子どもが持つ風船位の位置を、床と身体が平行になるような状態でスイスイ泳ぐように進む。だから、落ちそうになる夢を見ても「大丈夫か」と思える。

~中略~

空を飛ぶことは、子どもの頃の努力の賜物だ。子どもの頃は助けを求めながら逃げる夢が多かった。飛行能力はその中で移動手段として身に付けた。

~中略~

辛かっただろうが、幼き頃の苦労を得て、私は夢の中を都合良く進めている。よく頑張ったよ。

最近、私はこの考えは少し違うのではないかと思うようになった。飛行能力は子どもの頃の努力の結果ではなく、私が赤子の頃に横抱っこしてもらったから身に付けたものではないかと思うようになった。

 

何故そう思ったのかというと、今私は生後数ヶ月の我が子をなだめる時に、立った状態で我が子を横抱っこして、ゆらゆら揺らすことが多いからだ。我が子と床との距離感が、自分が夢で飛んでいる時のそれに近いと感じたのだ。


f:id:midorikirin:20200205210139j:image

↑横抱っこイメージ。抱き方は厳密に言うと異なる。


f:id:midorikirin:20200205210219j:image

↑参考として、縦抱っこイメージ。

 

そう考えると、落ち着かない我が子を抱っこするのも楽しい。私は我が子を横抱っこした状態で「飛行機だ~」と家中を歩き回る。今後我が子が怖い夢を見た時、飛んで逃げられるように。

 

私には「夢は自身の経験等で築かれている」という妄想持論を持っている。現実世界で、乗り物等使用せずに飛行できるのは、大人に抱っこされた赤子位ではなかろうか。

私以外にも、夢の中で飛べる人は沢山いると思う。その背景には、幼い頃に身体が感じた、抱っこという飛行経験があるからではないかと。

 

そんなことをふと思ったこの頃である。