私には価値が無い。

30過ぎの平凡地味女が自身の気持ちを整理する為、ネガティブなことを書く。

SNSで紹介文を書いてもらうのが夢だった。


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大学の頃、友達に招待されないと入れないSNSに入った。

ほとんど初めてのSNSアカウントであり、現実の自分と最もリンクしたアカウントである。

ここでは、Mと呼ぶ。

 

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Mのプロフィール画面には、友人からの紹介文が掲載される。

紹介文は任意なので、掲載されるされない、掲載数もまちまちである。

 

私は当時、友人として承認された数、紹介文の数が、人間関係における格付けだと思っていた。

 

周りが何十何百と承認数得ているのを見て、私は自分の少なさに焦りを感じた。

だが、増やし方が分からない。

「Mやってる? 承認し合おうよ」

これは私にとって、男性に連絡先を尋ねる並のハードルの高さだった。

 

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紹介文とは、どんな感じだったかというと。

 

『○○は、高校からの最高の親友☆

高3最後の試合は、マジで泣いた。

卒業しても、一緒に遊ぼうね♪』

 

『△△ちゃんは、本当に素敵な子。

凄く面白いし、勉強家であり、努力家。

そして、とても相手のことを思いやれる、気遣いのできる子。

こんな子、初めてです』

 

※文章はイメージです。

 

このような友人のプロフィール画面に載ってる紹介文を読むと、私は

「○○とこの子は親友同士。

つまり、○○にとって私は親友ではない

「△△は思いやりがあって、気遣いできる子だけど、私は思いやりがなくて気遣いができない

という、謎のネガティブ思考を発揮する。

 

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これは紹介文に限らず、友人、親族、職場同僚・上司等々。

誰かが誰かのことを言うとする。

それを聞いた私は次のように断定する

 

『○○ちゃんは美人よね』

→「私はブスである」

 

『あの子はよく頑張っているし、気が利く』

→「私は頑張っていない。気が利かない」

 

『あいつはどんくさい奴だ』

→「私もどんくさい奴と思われている」

 

この思考回路は、無意味に自分へダメージを与える以外、何の効果もない。

ダメージにいよいよ耐えられなくなった私は、20代の頃、自主的に有料カウンセリングを受けた。

 

カウンセラーから言われたのは一つだった。

「あなたは全ての物事を最後は自分のせい、自分が悪いと思い込むクセがある。

しかし、物事はそうであったという事実だけで、あなたとは関係ない」

 

そしてカウンセラーは、カウンセリングの数を重ね、思考のクセを意識的にコントロールする訓練をすることを薦めてくれた。

 

結局私はその一回しか行かなかったが、思考の傾向を指摘されただけでも、今思えば収穫があった。

 

そして、何より、

心が辛くなったら、カウンセリングに行くのも一つの方法、と行動の選択が増えたことが大きい。

 

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紹介文に話を戻すと、私は学生の頃、Mをやっている友人に、自分は紹介文を書いてもらえないと、ぼやいたことがある。

 

友人は「そんなの関係ないよ~。たまたまだよ」と言ってくれた。

そんな友人のプロフィール画面には、沢山の紹介文が掲載されている。

 

そう、気にすることではないのだ。

でも当時の私は、こうぼやいたにも関わらず、友人から紹介文をもらえなかったことに、落ち込んでいた。

 

思えば、学生の頃は、落ち込んだときに「落ち込んでます」とSNSに発信していた。

 

優しいコメントを頂くことも出来たが、結局良い発信でもネガティブ発信でも、反応の程度は変わらなかった。

 

今私はSNSで落ち込み内容を発信していない。

使い方は人それぞれだが、私にとってそれは恥ずかしいことと思っているからだ。

 

その代わりのツールが、このブログである。

 

改めて、はてなブログ様に感謝しよう。